ご依頼事例から見る相続手続のポイント・「遺産分割協議書で財産を相続しないこと」と「相続放棄」の違い

ご依頼事例1

ご相談内容

3年前に父がなくなりました。相続人は母と兄と私の3名です。父は小規模な同族会社を経営しておりました。
父の晩年からは実質的に兄が会社の経営を任されており、父が亡くなってすぐに社長に就任し会社を経営してきました。
父の相続財産は、ほとんどが事業用資産でありましたので、私も母も兄が父の全財産を相続することに異存はなく、その旨の遺産分割協議書を作成し、相続人全員が署名捺印しました。但し、父は生前に事業資金に当てるため自己を債務者として銀行から融資を受けており、死亡時点でもかなりの残高がありましたので、その債務も全て兄が相続する旨を遺産分割協議書に明記いたしました。
最近になって兄の会社の経営状態が悪化し、銀行への返済が滞るようになっておりました。
先日、銀行の担当者から私と母に対して法定相続分割合の債務を弁済するようにとの通知がきました。
私も母も父の相続に関しては一切何も相続せず、兄が全てを相続したことで相続を放棄したものと思っておりましたので、遺産分割協議書を示して銀行の担当者に説明いたしましたが、私と母も債務を相続しているとの返答がありました。
私達は納得が行かないのですが、何か方法はないのでしょうか?

「遺産分割協議で財産を相続しないこと」と「相続放棄」は、全く別物です。

相続のご相談をお受けしていて度々感じるのですが、「遺産分割協議で財産を相続しないこと」と「相続放棄」が同じであると思われている方が少なくありません。
ご自身が何も相続しないという内容の遺産分割協議書に署名捺印することで、相続放棄をしたと理解されているのです。
しかし、これは誤りであり「遺産分割協議で財産を相続しないこと」と「相続放棄」とは全く別の手続であり、異なる法的効力をもちます。
このことは自営業者や同族会社の経営者が被相続人である場合に特に注意が必要です。

「遺産分割協議書」と「金銭債務」

ご相談のケースのように、同族会社の経営者が被相続人であり、相続財産の大半が事業用資産であった場合に、後継者である子どもが全財産を相続することは珍しくありません。
金銭債務などのマイナスの財産がなければ遺産分割協議書を作成しておくだけでも問題はないでしょう。
しかし、金銭債務がある場合には、相続放棄を検討する必要があります。
なぜなら、金銭債務のような可分債務(数字で分けられる性質のもの)は、相続開始と同時に法律上当然に分割され、各相続人がその相続分に応じてこれを承継します。
ご相談のケースのように相続分と異なる遺産分割(兄が単独で金銭債務を全て相続する)が成立したとしても債務は相続分によって定まるものであり、遺産分割によって勝手に配分されるものではないと言うのが判例の立場です。
したがって、遺産分割協議書の内容にかかわらず、債権者である銀行は、各相続人に対して相続分に応じた分割額を請求することができます
遺産分割協議書の内容を理由として、銀行からの請求を拒絶することはできません。

「相続放棄」と「金銭債務」

ご相談のようなケースで、一切の財産を相続したくないのであれば、相続放棄の手続を取る必要があります。
相続放棄とは、法定相続人をはじめから相続人でなかったことにする手続です。
相続放棄は、自分が相続人になったことを知った時から3か月以内に、家庭裁判所に対して、相続放棄申述書を提出する方法で行います。
家庭裁判所がこれを受理すれば、どんなに多額の金銭債務が相続財産に存在したとしても一切相続することはありません。

被相続人が個人事業主や会社経営者の場合に、後継者以外の相続人は「相続放棄」も考慮しよう。

「遺産分割協議で財産を相続しないこと」と「相続放棄」との最も大きな相違点は、相続財産に金銭債務が存在する場合に、債権者からの相続分に応じた分割額の請求に遺産分割協議書の内容では対抗できないが、相続放棄受理証明書では対抗することができるということです。
何も受け取らなかったから金銭債務も引き継ぐことはないと思わないで下さい。
金銭債務を相続しないためには、正式な相続放棄の手続を取る以外に方法がないことに注意して下さい。

相続の不公平の調整には、「生命保険」を活用しよう。

自営業者や同族会社の経営者が被相続人の場合に、後継者のみが財産の全てもしくは大半を相続すると、たとえそれが事業用資産であっても後継者以外の相続人との間で不公平感が生じます。
しかし、今回のケースのように、大きな金銭債務がある場合に、後継者以外の相続人が何らかの相続財産を相続してしまうと、単純承認したことになり相続放棄することができず、金銭債務の承継を逃れることができなくなります。
では、どうすればよいでしょうか?
こういったケースでは生命保険の活用と相続放棄の併用を検討してみてください。
被相続人の生前に、相続についてご家族で話し合う機会を作って下さい。
後継者以外の相続人は、後継者への相続を承諾するとともに、被相続人を保険契約者兼被保険者、後継者以外の相続人を保険金受取人とする保険への加入を申し出てはいかがでしょうか。
このような保険は、相続が発生すると保険金受取人固有の財産となり相続財産とはなりません
したがって、相続放棄をしても受けとることができます
こうすることにより、後継者以外の相続人も財産を受けとることができ、かつ相続放棄することにより金銭債務の承継からも逃れることが可能となります。